乗り換え11回の旅

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来春なくなってしまう急行はまなすに乗る計画がもたらされた。
N君が予約してくれたカーペット車両、4号車は、青森から札幌方向の下り列車だった。
集合地点の青森へは、もちろん新幹線などいろいろな手段で辿り着くことができるが、ここはひとつ、青森の遠さをもっとも実感するやり方で行ってみたい、そう思ったのがこの計画の発端だ。
僕のささやかな自慢の一つに、稚内から青春18きっぷだけで、埼玉・大宮の実家まで帰宅したことが3回ある(!)というものがある。
あり余るほど時間があり、ほとんどお金のなかった学生時代の話なのは、もちろんだ。
当時の時刻表が手元にないので不確かだが、稚内から札幌あたりまでが1日、そして2日目の最後に青函連絡船に乗り、3日目は青森から大宮まで帰ってきたように思う。輪行袋の中のボトルに水を入れ、それをちびちびやりながら帰ってきた。最後の乗り換えである黒磯でまだお金があったら、立ち食いそばを食べた。輪行袋に加えてフロントバッグとサドルバッグとサイドバッグ2つを持って、思えば長い旅をこなしてきたものだ。
だから、50歳になったばかりの僕が上野から青森まで行くのに、輪行袋を持っていくのも、自分としてはまったくいつも通りの計画だったが、端からみれば白髪交じりの親父が何をやっているのだろう、くらいの行程だったかもしれなかった。
まだ暗い上野で愛車をバラし、始発に乗り込む。宇都宮から黒磯、黒磯から途中、黒田原までは高校生たちの登校時間にひっかかり、座れない。郡山の改札外にて朝食、たぬきそば260円。途中下車可能な長距離切符は、自動改札を通って外に出られることを知る。車窓左手の吾妻連峰は、紅葉が中腹まで降りてきている。
福島では以前、駅前右手の書店で「会津の峠」上下巻を買ったことがあるのだが、書店なんて見当たらなかった。
仙台にて昼食を調達しようとするも、高価で量の多い駅弁ばかりなので、コンビニで小さい中華弁当330円とする。ここで缶ビール1。
仙台から小牛田へは塩釜、松島といった駅を通る。これらを通るのは仙石線だったような気がして、手元の小型時刻表をあらためる。なにしろ、こうして普通列車で青森まで通すのはたぶん25年ぶりくらいなのだから、記憶が怪しいのも仕方がない。
外の景色はさらに紅葉が進み、平地でもちらほら色づいてくる。東京の12月みたいな感じかな。リンゴの木や柿の木に小さな実がなっている。思っていたよりも風が強く、天気は良くない。
一ノ関を過ぎて、花巻あたりで雨が止んだようで、空に虹が出る。車窓右手に出たので、たまたま左側のシートに座っていた僕は気づいたのだが、右側に座っていたら気づかなかったかもしれない。
石鳥谷という駅に聞き覚えがあって、そこで下車してツーリングした記憶もなく、なんでだろうと思いながらそのまま乗っていて、気がついた。次の駅が、日詰だったのだ。
中学生の頃、日詰という名字の同級生がいて、もう理由も覚えていないが、その駅の写真を撮ろうと思ったか、硬券の入場券を買おうとでも思ったことがあるのだろう。石鳥谷を通ったときに、記憶の引き出しの奥底で何かが反応し、5分隣の日詰という駅で、それが表面まで浮き上がってきたのだ。
盛岡でのIGRいわて銀河鉄道への乗り換えが存外、遠い。しかもJRではなくなるから、切符を別に買う必要があった。ちょうど高校生たちの下校時間に重なり、また混む。思えば、彼らが学校で勉強している間じゅう、僕は電車に乗り、輪行袋を小脇に抱えていたことになる。やれやれ、だ。
外が暗くなり、さすがに車内でもカッターシャツでは寒くなってきて、薄手のセーターをサドルバッグから出して、着る。マフラーを巻いている高校生もいるくらいだから、根性なしというわけでもない。
終点の金田一温泉まで行かずに二戸で乗り換える。次の列車が二戸始発だからだ。ナビタイムでは、そうは指示してくれない。終着まで行ってから乗り換えるのだ。
八戸からの折り返し列車を待ったのは、たったの4人。旅人風情なのは僕だけだ。雨が降り、陽のとっぷり暮れたホームは静かで、山間の駅の終電くらいに感じるが、ここはれっきとした東北本線。大学1年のとき、東北合宿のスタート地点がこの先の三戸駅だったのだが、そんな魅力的な地点を起点にプランしてくれた先輩には、今や感謝しかない。
乗降ドアは自動ではなく、乗車時も降車時も、旅客がボタンを操作してドアを開ける。開けるのは自分のためだからいいが、慣れていない人は、閉めることを忘れがちだ。車内が寒くなるので、ドアの脇に立っている達人が、あうんの呼吸でボタンを押し、ドアを閉じる。見ていて楽しい。
八戸で、いよいよ最後の、10回目の乗り換えだ。ホームが違うため、輪行袋を抱えて跨線橋を移動する。高校生の全てが着席を望んでいないおかげでどうやら席が確保でき、これでようやく、青森へのファイナル・アプローチとなる。
15時間近く、10回もの乗り換えで青森に至るこの旅は、実はもっと辛いと思っていた。途中で音を上げて、新幹線に乗りたくなってしまうのではないか、と。
そんなことはなかった。じっと座ったままの国際線に比べれば、車窓風景の移り変わりがあり、ときどき乗り換えだってある鉄道の旅では、退屈することなんてなかった。
急行はまなすを楽しみ、着いた札幌の車窓からは、もう雪が見えていた。自転車で走る道路としては、自己最高に早い初雪走行となる。